story
No.57 かごのはなし その2
一昨年、リゼッタで毎年行ってきたフランスのカゴ展を開催できませんでした。
ジルの話を少しすると、最後に会ったのはパリ近郊で行われたマルシェでした。私はイヴリンの亡きあと、彼に会っていなかったので、私は彼に会ってイヴリンのことを悔やみ、それでも彼に新しい仕事をお願いするつもりでした。
そこで彼からこの仕事を最後に引退したいと思っていることを聞かされ、私は突然の知らせに、もちろんショックを受けました。
彼は私に頼まれた新しい仕事をやり終え、その後いくらメールをしても返信がきませんでした。フィリップからジルが亡くなったことを聞いたのは、次のカゴ展の予定がたてられずにやきもきしていたそんな矢先でした。
あの時久しぶりに彼に会って、「歳をとったな」と思ったけど(お互い様)。彼の異変に気づかなかった自分が、鈍感で情けなくて…。そして2人を日本に呼ぶことが出来なかった後悔は、これからずっと私の頭からは離れないでしょう。
そしてこの瞬間 実感したのは、いま普通にあることは決して当然のことではない、ということです。もうあの素晴らしいカゴをつくってもらうことはできないし、もう二度と彼らのフィヨンセバッグを紹介することもできません。
《フランスのカゴ展》自体、彼らの存在あってのことだと。そう喪失感に襲われる中、フィリップも引退するとメールが来ました。フィリップは、「息子が継ぐ。息子のバスケットは僕が責任持って見るから、これからもよろしく」と嬉しいメールでした。
サック・ド・フィヨンセを復刻させたジルとイヴリン。そして、その技術を引き継ぐマルグリット。
自ら柳を育てながらつくり続けるフランソワ。
その土地のトラディショナルを守り続け、後世に引き継ぐフィリップ。
古くからの産業の仕組みをつくり、地域で守り続けているヴァヌリー ド ヴィレンヌ。
彼らは私が直に会いその作品と腕の素晴らしさに感動した精鋭ばかり。「代わりの職人を…」なんてそんな簡単なことではありません。
世の中は進歩ばかりが尊ばれます。目新しいものにばかり注目が集まります。でも私は変わらず、同じものをつくり続けることも希少で貴いと思うのです。
リゼッタも同じものをつくり続けているものがあります。移り変わりの早いファッション。いつでも新作を求められることに疑問を感じることがあります。
衣服も必要なものは繰り返しつくり、普遍的なものであってもいい。そう思いきれたのは、今も同じものをつくり続けている彼らとの出会いがあったからだと思います。それは私のなかで確固たるものとなり、私の礎となりました。
日本のもの、フランスのもの、異国のもの関係なく、ふさわしい場所で役立つものをつくること。使い手にとって、もっとも使い心地のよいものを人の手で丹精こめてつくるその先に生まれる美しさは格別です。
私もひとの子。こちらの方が軽くて便利かもと、プラスチックのランドリーバケツを買ったこともあります。ほんとにあの時、バチにでも当たったかのようにすぐに底が割れてしまって、「なにっ、もう割れてる!」と自分で買ったのにも関わらず、バケツに向かってののしったりして…。
そしてもう、役に立たなくなったバケツは捨てることになったんですが、そんな時、はじめてカゴを探しに行った小さな村で、古い柳のカゴに新しい柳をあてて直していた職人をみたことを思い出し、私自身、どこか後ろめたい気持ちになってしまいました。そんなこんなでまたあらためて彼らの素晴らしさを痛感し、反省して、私のカゴ生活は継続中です
平真実
リゼッタオンラインブティックでは、フランスのカゴ展を開催しています。
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